ムネモシュネ・シナプス

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「身ウチ」が増えれば生きにくい?

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親や兄弟になんとなく意地悪になってしまう、親しい友達の行動・言動になんだか苛立ちを覚える、あれ、なんなんだろう。

先日、近しい人に無駄にイライラしてしまう出来事が続いて、自分の驕りと心の狭さに自己嫌悪になりながら、この現象はどうして起こるんだろうと考えていた。

 

そしてたどり着いた結論は、近しい関係の〈その人〉を〈=(イコール)自分〉と考えてしまうから、だと思った。

「ウチ」と「ソト」、そして「ヨソ」

日本語を言語学的に勉強したことがある人は、「ウチ」と「ソト」という概念を読んだことがあると思う。

ちなみにこれは日本語学習者も勉強するので、日本に留学経験のある我がパートナー(オーストラリア人)も「AH!Uchi to Soto ね!」と理解している。

 

 以下は、言語学者三宅和子氏による「日本人の言語行動パターン -ウチ・ソト・ヨソ意識」を参照した説明になる。

 「内(ウチ)」というのは「家族、自分の会社の人、自分の属するグループなど *1」、生活において自分に近い人たちのことを指す。

 「外(ソト)」は「親しくない人、他人、他会社の人、他グループの人など *2」、普段自分とはあまり関わりのない人たちのことだ。

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出典:三宅和子「日本人の言語行動パターン - ウチ・ソト・ヨソ意識 - 」

 このシンプルな二つのグループを、三宅氏はさらに多層化して捉えることを提唱している。

円の中心に「自分」がおり、そのから順々に「ウチ」、「ソト」そして「ヨソ」と層が広がっていく。

ヨソというのは、「自己やウチとは関係がないがなにかのきっかけで関係をもちえる人」を指し、例として通行人や電車の中で一緒に乗り合わせている人などを挙げている。

三宅氏によるソトは、従来のものとは意味合いが少し変わってくる。
三宅氏的ソトに属するのは、「ごく親しくはないがウチ、自己と関連がある人」である。自分と同じ会社の人、同じ学年の人など、親しくはないが生活圏を共にしている人に追加して、〈母の職場の人〉や〈友達の家族〉なども含まれるのかなと思う。

 

「ヨソ」という概念もなるほど!と膝を打ちたくなった。
「他所様に迷惑をかけるな」という時の「他所様」とは、物理的にも精神的にもなんの繋がりもない人のことは想定していない。あくまで自分と関わりがある、もしくは関わりを持ち得る人のことを指している。

「ウチ」の人と自分の境界線

三宅氏の論文を基に3つの概念を紹介したが、今回注目するのは「ウチ」の人と「自分」の関係性である。

冒頭で私が示した問題は、「親しい人の行動や言動に苛つきやすいのはなぜか」という事だ。

 私は、この「ウチ」の人と自分の境界が時々曖昧になってしまうから、彼らに対して感情が激しく動くんじゃないかなと思う。

 家族や親しい友達、同僚などにイライラしてしまう時、無意識に頭のどこかで「なんでそんなことするんだ、私だったこうするのに」と考えてはいないか。

 彼らを「私(自分)」の延長上に捉えてしまって、自分の期待するように行動しないと腹が立ってしまう。自分の手足を自分が思うように動かせずに憤るのと同じ。

 

しかしちょっと待て、彼らは自分とごく近い「ウチ」の人ではあると同時に、自分とは別の人格を持った〈他人〉でもあるのだ。身近であればあるほど、甘えられる存在であればあるほど、自分とその人の境界線が曖昧になってしまう。

 

三宅氏は言う。
「日本人の自己が時にはまわりの『内』と同化する現象はあっても、自己はあるはずである」

そう、私たちには自己がある。そして同化しうる「ウチ」の人間は、紛れもない他人でもある。誰かに苛立ちや憤りを感じた時、彼らは私が制御する人形ではなく、独立した意思を持った個人であることをちゃんと思い出さなくてはいけない。

「ウチ」の範囲が広がると、生きにくい?

時々、他人に対して過剰に固執して怒っている人に遭遇したりする(簡単に済ませらせないほど複雑な状況だったり、距離をおこうにも置けなかったり、やむにやまれない様々な場合は無限に存在していることもわかってるよ)。

 「ウチ」の範囲が広がりすぎると、無意識に他人と同化する回数も多くなり、自分の思い通りにいかずにイライラしてストレスを溜めることも多くなるのかなぁ...と黄昏れたりする。距離感を意識することって大事だよなあ、と。

 しかし同時に、あまりにも他人との境界線を意識して生きるのも、ちょっと寂しくはないかと思ったりもする。だって無意識に共感できる「ウチ」の人が減るわけで、精神的に近い信頼のおける存在が減るわけだから。

 他人に感情をかき乱されたくないから「ウチ」の人を最低限に止めるのも、生きやすいかもしれない。だけどそれはそれで、孤独だよなあ...。

 

【参考文献】

三宅和子、2007年「日本人の言語行動パターン -ウチ・ソト・ヨソ意識」(2021年7月4日閲覧、https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/records/6191#.YOGlARMzZQI

【脚注】

*1、*2  平林周祐・浜由美子(1988)『外国人のための日本語例文・問題シリーズ10 敬語』 荒竹出版